2014年9月21日 (日)

久しぶりの

  

気がついたら前回の更新から一年以上がたっていました。
体にも心にもいっぱい詰めこんだ1年だったけれど、
少しずつ消化されて、
自分の内側から感じる余裕がでてきた気がします:)

自分も含め、全てのものがつねに動いて、流れて、変化している。
その一瞬一瞬、ひとつひとつを、
ただそのまま感じられるように、心を開いていたいと思う。

大きく大きく遠くから見守るようなのんきさと、
目の前の小さな変化にも気づけるような温かさをもって。

人にも、 環境にも、 どんな物事にもそうあれるときが、
いちばん幸せを感じるときかもしれません。

この1年間も多くの人に出会い、いろいろな言葉やきっかけをもらいました。
そのそれぞれも、きっとその人の中で変化しながら
蓄積されてきたものの一つの現れで、
そのタイミングでなければ得られなかったものだと思うと、
どんなささいなやりとりも、貴重なものに思える。

いま自分の内側にあるものが、これからどんな風に育って、
どこに届くのか、分からないからこその楽しみを感じながら、
今日も一日、大切に生きよう:)


写真は最近訪れたスウェーデンの田舎町でのものです!

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2013年9月 8日 (日)

7年後


7年先を計画したり考えることはなかなかないけれど、
こうやってオリンピック開催が決まると、
自然とその頃のことを想像するようになるのが、
なんだか面白いなぁと思う。

それも長〜い歴史、人生の通過点のひとつであることに変わりはないし、
本当は毎日同じように、通過点となる出来事が
起きているのだろうけれど・・!

オリンピックが来るのと来ないのと、
正直どちらが良いのか分からなかったけれど、
どんなことにも良い面も悪い面もあるのだから、
自分の国が歩むと決めた道で、
良い面が最大限に出るように、前を向いて
毎日を大事に生きなさいと言われているような気持ちなる。

7年後も、大好きな人たちと一緒に笑っていよう。
どんなことがあっても、光のほうを見続けられる強さをもっていよう。
自分に正直に生きていよう。

オリンピックのさらにずっと先をぼんやり眺めつつ、
そんな7年後を想像しつつ、今を大切に思うのも、
それはそれで、なんだか良いなぁと思う。

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2013年8月 6日 (火)

太陽のような人



今日はとても素敵な女性に出会いました。
今すすめているプロジェクトで、料理のレシピを
考えていただく女性です。
彼女のウェブサイトに載っている料理写真や文章から
想像していた人物像そのままのような方でした。

20年ほど前に自分のお店を開くとき、
ある人に自分の料理は太陽のようだと言われ、
その言葉を胸にずっとがんばってきたと言っていました。
その言葉を聞いた私たちも、あまりにしっくりきて、
思わず微笑んでしまいました。
彼女の料理というより、彼女自身が太陽のような人で、
その彼女が生み出すものだから、自然と同じエネルギーを
発するのだと思う。

たとえば何かを創るという行為も、食べるという行為も、
一見受け身に見えたり、ささいに感じられる行為も、
ひとつひとつその人の選択のあらわれであり、その内面や生き方が
現れるものだということを、あらためて思う。

自分をふくめ誰でも、時にその選択を飾ってしまったり、
自分でないものを表そうとしてしまうこともあるけれど、
彼女のように、湧き出るように自然と内側から発せられるとき、
そこで生み出されるものも、一番よろこんで輝きを放っているのだと思う。

そして、おそらく自分の母親に近い年代の彼女は、
年月とともにどんどん身軽になるような歳のとり方をしてきたの
だろうなぁと勝手に想像し、歳を重ねることの醍醐味を
またひとつ実感したような気がしました:)


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2013年6月 6日 (木)

ふりかえりと、そのつづき


7年ぶりの日本。
何度も途中に帰ってきていたし、
慣れている場所だけれど、
まだ体が適応していないような、
旅行中のような感覚がぬけない。

そんなことを感じながら、
いろいろな人たちに会う中で、
8年前に会社を辞めたときのことを思い出す。
あの時も、沢山の人たちに相談に乗ってもらい、
録音しておきたいと思うようないろんな言葉に
後押ししてもらいながら、気がついたら体が動いていた。

なんて無鉄砲だったのだろうと思うことも沢山あるけれど、
先を知っていたら、先ばかりを見ていたら、
自分の前に訪れてくれた流れにも気付けなかったかもしれない。

自分の直感を抑えるように、こうあるべきと考えたり、
先を想像して不安になってしまう自分もいるけれど、
また何年後かに今のような気持ちで振り返れるよう、
自分が開けたいと思う扉の存在には気付ける状態でいたい。

自分を卑下するのでも、過大評価するのでもなく、
身の丈の自分を大事にして、心の赴く方に動いてみようと思う。

とにもかくにも、この8年間に、その流れをつくってくれた人たちに、
あらためて感謝したい気持ちになりました・・!

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2013年2月 5日 (火)

境界線



2年半ほど通っていた事務所が昨年末に引越し、
毎朝の通勤の風景も変わりました。

もう少ししたら、この街並もしばらく見ることが
できなくなってしまうので、
とにかく目に焼き付けておきたいと体が反応しているのか、
駅からオフィスまでの15分ほどの道のりが、
今まで以上に楽しく感じられる。

いつからあるのか分からない、レンガづくりの建物たちを
見ると、なんだか心が落ち着きます。
中のお店が変わったり、表面のお化粧がちょっと足されたりしながらも、
ずっしりと、静かに存在し続けてきたその佇まいに、
長い長い時間の経過を感じるからかもしれません。

小さな変化を日々繰り返しながらも、
ただそこに在るという意味では変わらない。
私たちをとりまく自然、国土も、
絶え間なく小さな、時には大きな変化をしながら、
変わらずに存在しつづけている。
少なくとも、私たちが一生をかけてみることができるよりも
ずっとずっと長い時間を過ごしながら。

そんなことを考えながら歩いていると、
あぁ自分はものすご〜い大きな広がりの中のほんの一部を
覗かせてもらっているんだという気持ちになる。

どうやっても、生きている間に全てを
見つくすことも、知り尽くすこともできないから、
ちょこちょこっと覗いている。
そしてそのちょこちょこを自分なりにつなげたり
整理したりしたいから、人は時間や空間に、
自分の頭の中で境界線を描くのだと思う。
こちらとあちら、いつからいつまで
というように、、。

でも、そういう境界線を全部超えちゃうくらいの大きな広がりの
中にいるのだと思うと、本当は始まりも終わりも、
あちらもこちらもなく、自分の心さえ自由であれば、
好きなように行き来できるのだという気持ちになる。
自分のいない場所に変わらず佇む風景や、
そこで会った人たちを思い出すとき、
自分の描いた境界線も、きっとちょっと薄まっているのだと思う。
 

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2012年12月13日 (木)

ミンカ



先日母と北鎌倉へお墓参りへ行ったときのこと。
たまたま見つけた"ミンカ”というカフェに入りました。
文字通り、古い民家の1階を改装したお店で、
置かれているものも、その配置も、大切にひとつひとつ考えられて
いるのが伝わってくるような、居心地の良い場所でした。

三人の女性が、料理/飲み物/ウェイトレスそれぞれを担当していて
私たちはたまたま、飲み物&デザート担当のお姉さんの見える、
カウンター席に通されました。
そのお姉さんのたたずまいは、これからもきっと思い出すような気がします。

持ち上げられないような大きな鉄のやかんで沸いたお湯を
おたまを使って、あらかじめ用意してあったブレンドの葉っぱに注ぐ。
お茶出しの時間を見計らいながら、次のお茶の葉やデザートを用意。
入ってくる次の注文に耳を傾け、
小さな冷蔵庫で冷やすために小分けされた瓶にその都度水を足し、
牛乳がきれたら、パックをきれいにはさみで切って面をそろえる。
形サイズさまざまな容器を取り出して使っては、
またととのえてもとの場所に戻す。
きっとこれまで数えきれないほどに繰り返して
きたのであろうその流れが、あまりにきれいで、
思わず見とれてしまいました。

でも一番印象的だったのは、
静かにもくもくとその流れを続ける彼女が、
私たちがお茶の葉について話していると
自然に会話に入って説明をしてくれたり、満員のお店に
入ってきたお客さんに丁寧に状況を説明したり、
帰るときにありがとうの笑顔を向けてくれたこと。
大切に愛情をこめてつくられた、静かで太い
土台に身を置きながら、そこにまぎれこんでくる
新しい流れにも同じように愛情をかけつつ、
その流れの変化を楽しむ。
そのバランスがとても心地よく見えて、
あんな風に自分の人生を過ごせたら素敵だなぁと思いました。
何よりも自分の中の流れを静かに大事に温めて、
そこからうまれる愛情で目の前に現れる人たちに接し、
そしていつでも送り出す準備もできているような。
飛躍しすぎかもしれないけれど、そんな風にすごく感じます。

それにしても、今年ほど自分の気持ちの変化が大きかった年は
ないような気がします。
それも、自分の目の前に現れて、一緒に過ごしたり、
間接的にでも言葉を届けてくれた人たちのおかげです。
神様がいるのではないかと思うくらい、
自分一人ではつくれない流れを、他の誰かの登場が
つくってくれることがある。

来年は変化の多い年になりそうだけれど、
いろいろな思い込みや不安を、ひとつひとつ手放しながら、
自分の目の前に現れるあたらしい流れに愛情を
かけられるように、自分の中を温めておくことだけは
忘れないでいようと思う。


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2012年11月 8日 (木)

あれこれいろいろ


ハリケーンがきて、次期大統領が決まって、
なんだかいろいろなことが起きていた一週間。
自分で予想も想像もできないようなことは、
そのぶん色濃く記憶に残ったりもする。
そしてそれを思い出すたびに、時間の流れも感じる。

サンディがくると言われたとき、
去年のアイリーンを思い出しました。
はじめてのハリケーンにちょっと不安を感じながら
夜電話をしていたこと、でも意外と大丈夫で
ほっとしたこと。
今年は去年を知っているから、逆に安心していたら、
私の家はまったく影響がなかったけれど、
思いがけず他のエリアの被害は大きかった。
本当に完全に予想できることはないんだなぁと思う。

そして、被害がなかったから言えることだし、
今も大変な状況にいる人たちを考えると、
こんなのんきなことは言っていられないのだけれど、
あのよくわからない状況下で、友達が避難してきたこと、
シャワーを浴びにきたり、一緒にごはんを食べたこと、
ボスが車でやってきてとりあえず車の中で打ち合わせしたことも、
きっとまたいつか、なつかしく思い出すんだろうなぁと思う。

昨日の大統領選も、4年前の同じ頃を思い出しました。
当時は学校にいて、真夜中だけれどまだみんな教室で
作業をしながら、オバマの勝利演説を見ていた。
何人かの友達が喜びで泣いていました。
それほどまでにこの8年間は大変だったのだと
言っていたのを思い出す。

あれから4年後、この場所でまたオバマの演説を
見ているとは、あのときは想像できなかった。
私は経済にも政治にもうといけれど、それでも、
マイノリティや女性も含め、あらゆる人に同じように
目を向けようとしている人がまた大統領になって、
やっぱりほっとしています。

これからの4年間をこの場所で見届けることはない気が
しているけれど、自分の大好きな人たちがいる国だと思うと、
良い方向に向かってほしいし、
生きやすい場所であってほしいなぁと思う。

話とんで、今日は矢野顕子さんのライブにいってきました。
生で聞くのははじめてでしたが、とにかくそのオーラに、
全身での表現に、ただただ見入って、聞き入ってしまいました。
一瞬にして場の空気を変える、見る者を無心にさせてしまうような
表現者の力ってすごいなぁと思う。

矢野顕子さんを見ていると、「自由」という言葉が浮かんできます。
ふわふわした自由というよりも、奥のほうにものすごい強さが
あって、だからこそあれる自由というような、、。
勝手なイメージだけれど!

それにしても、とりとめのない日記・・・!

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2012年10月 7日 (日)

健やか



大丈夫と思える気持ちが、健康をつくっているのかもしれない
と思いました。

よしもとばななさんの対談集、“Q.健康って?”の最後に、
るなさんという、末期がんとたたかいつづけている
女性の日記があります。
私と同じくらいの年齢で乳がんを発症し、
気付いた時点で末期ガンであること、
余命1年、一時は余命1、2週間の可能性を言い渡されながらも、
奇跡的に回復し、その後も転移と抗がん剤治療を
繰り返しながらも、生きつづけている女性です。

彼女の日記は、涙なくして読むのは難しいですが、
決して悲観的、悲劇的だからではなく、
どんな状況に追い込まれても、どこかで大丈夫だと、
自分を信じて一寸の光を見続けられる、
そして楽しむことや感謝の気持ちを忘れない、
彼女の強さに、健やかさに、心を動かされたからだと思う。
その健やかさは彼女をとりまく人々に伝染しているのが、
日記を読んでいて伝わってくる。
そして会ったこともない私にもこれだけパワーをくれることを
思うと、一人の人が前を向いて生きていることのすごさを、
ただただ感じる。

“生きるって大変な事もあるけれど、今、生きているってこと
だけで喜びだな!と思いました。”
という言葉。
忘れがちだけど、本当にそうなんだって気付かされる。
与えられてる時間を大事に生きよう。
そして何があっても、きっと大丈夫とお腹のどっかで思える
彼女のような健やかさを、ちょっとずつでも蓄えるぞ!


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2012年8月 3日 (金)

空間


「ひな菊の人生」という大好きな小説の中に、
何度も思い出す、登場人物のセリフがあります。

“一回でも会うと、そのときにひとつの思い出というか、
空間ができるでしょう。それはずっと生きている空間で、
会わなければこの世に全くなかったもので、全く人間どうしが
無から作ったものだから。ダムとか、ロケットとかと同じで、
人と人がなにもないところから産み出した世界でしょう。・・”

はじめて読んだとき、
空間ってなんてぴったりな表現なんだろうって思った。

自分だけではつくりえない色や形をした空間が、
自分のまわりにいっぱいあって、
きっと心になじむ空間は、
ちょっとずつ大きくなったり色を加えたりしながら、
距離も時間も超えて、
ずっと自分を包んでくれているものなんだと思う。

人だけじゃなく、自然やものとのあいだでも。

ものの見方は無限にあるし、
何かをものすごく深刻にとらえたり、
ドラマチックにしたり、嘆いたり、
そういう力も人間はもっているけれど、
でも、思わず笑顔になったり、
大笑いしたり、温かい気持ちになったり、
そういう空間もいつもどこかで一緒にあって、
自分の人生の終わりを本当に近くに感じたときに、
思い出すのは、そっちの方なのかもしれない。
だから、大げさかもしれないけど、
見過ごしてしまったらもったいないって思う。

神様からの贈り物みたいな、
自分と誰かや何かをつなげてくれているいろいろな空間を、
もっともっとでもなく、見過ごすのでもなく、
ただただそのまま大事に感じながら、生きる。
それは実は、すごくしあわせなことだと思う。


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2012年7月 9日 (月)

ポット


3年前の夏、ベルリンにいる友達を訪ねて
数日だけ旅行にいきました。

そのときの私は、時間的にも心にも余裕がなく、
なんだか疲れきっていて、夏休みとにかくどこかに行きたくて、
数週間前に思い立ち、、。

チャーミングという言葉がぴったりな、
奔放で温かいその友達が、
突然の訪問を迎え入れてくれました。
何も決めずにいった旅行だったけれど、
ただおしゃべりしながらゆっくり歩いて、
疲れたら休憩をして、の数日間。

朝と夜になると、彼女がお茶を入れてくれました。
かわいい保温性のポットに入った温かいお茶を、
時間をかけて何杯も飲んだことを思い出す。

モノも少ないし、華やかなわけでもない。
でも彼女の好きなもので満たされていて、
ちょっとした工夫で部屋に彩りがあり、
豊かに暮らすってこういうことなんだって思った。
その部屋の温かさと、そこにゆっくり流れる時間が、
何よりもそのときの自分を癒してくれました。

その約1年後、NYに引越し、やっと少し、
自分の暮らしをていねいに(前よりは!)できるように。
彼女がお茶をいれてくれたあのかわいいポットを思いだしては、
いろいろなところで探したけれど、みつからないまま
2年がたちました。

そして先週、その友達がNYに遊びにきて、
久しぶりに一緒にごはんを食べました。
お店につきすぐにわたしてくれたおみやげを開けると、
そのポットが!
透き通るようなきれいな白の。
久しぶりの彼女の変わらない笑顔と、
探していたことをおぼえてくれていた事がうれしい。
次誰かが訪ねてきてくれたときには、このポットでお茶を入れよ:)


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2012年6月11日 (月)

くみあわせ


しあわせを感じるときっていろいろある。

不思議だなぁと思う。
ちょっとしたことでくよくよしたり、
そんな自分がいやになったり。

ぐるぐる2巡くらいしたころに
助け舟がやってくる。
友達の言葉とか、
たまたま出会った音楽とか、
久しぶりに読んだ本とか、
美味しいサングリアとか。

どれも何かを大きく変えるわけじゃないのだけれど、
その積み重ねが知らぬ間に自分の心の向きを変えている。

すべての光景はいろいろな要素でできあがっているのだろうけど、
その組み合わせの力ってすごい。

そのときの部屋の明るさ、温度とか、
人の表情、目に入ってくる言葉、音の流れ。

それぞれ目的をもってそうあるわけじゃなく、
たまたま同じタイミングでそこにあるだけなのに。

人の営みも、自然も、ただそこにあるだけで
すごい力を発揮してる気がする。

酔っぱらいのたわごとだけど・・!

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2012年5月 7日 (月)

ひらく


土曜の夜、タイムズスクエア駅にて。
5、6人のおじさん&おばさんが
ビートルズのhey judeを演奏している。
通りすがりの人たちが次々に立ち止まり、
楽しそうに、それぞれの思いにひたるように、
一緒に口ずさみ、手をたたき、
その輪が厚くなっていく。
バラバラのところからきた人たちが、たまたま居合わせた場で
そのときだけの空気をつくりあげる。
また数分後には別の場所へちらばっていくのだけれど、
その瞬間の、その空気感をとどめられないのが
もどかしく、ずっと眺めていたいような気持ちになる。


ことばでうまく説明できないけれど、
自分の体が先に声をあげ ていたり、
お腹のおくの感みたいなもので、
どうしても動いたほうがいいと感じるときがある。
ものすごいエネルギーを使うけれど、
気がついたら体が先に動いているような。

誰かとであって、自分の頭をかーんとたたかれたように、
今まで気付かなかったことに気付いたり、
見方や考え方が広がったり、
それが人と交わることのすばらしさのひとつだと思う。
そういう人の存在で、どれほど自分が自分の小さな
頭の中に閉じこもっていたかに気づく。

同時に、どうしても大事にしたいこと、それを大事にするために、
ある場所や人から離れないといけないようなときもあるのだと思う。

きっとそれは本当に紙一重で、どちらが0か1かの問題ではなく、
どの判断が絶対に正しいというのもないのだろうから、
もしかしたら、そういうときに一番正直なのは自分の体なのかもしれない。
いろいろな理屈で、自分で自分を説得することもできるのだろうけれど、
体の声に反応できるような感はなくさないでいたい。

自分が思っている以上に、自分の頭は自分を拘束している気がするから、
その狭い世界に閉じこもらないようにしたいし、
同時に、ただただ元気に、いつわらず生きるための
自分の体の感のようなもの、その両方を大事にできたらいいなぁと思う。
そうすることが、誰かに何かを還すことにもつながると信じたい。。


久しぶりの日記はまたわけのわからない内容に
なってしまいました;;

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2012年2月13日 (月)

冬の一日


あたたかい日が続いていたのに、
また一気に冬らしい気候にもどってきました。

なんだか写真を撮りたくなり、
カメラを持って散歩に。
くもり空だけれど、澄んだような静かな光がきれいでした。

時間とともに消えていくものって
そんなにないのかもしれないなぁと思う。
いろいろな記憶を忘れていくけれど、
またふとしたときに戻ってきて
知らぬ間に熟成されていたりする。
忘れている間に、コトコトと
別の場所で煮込んでいたみたいに。

だから、時間がたってからやっと言葉にできるような
こともあるのだと思う。
感謝したい気持ちや謝りたい気持ちも。
そう思ったときには伝える手段がなかったりもするけれど、
それもきっと悲しいことではなくて、
匂いだけは、どこかに飛んでいたらいいなぁと思う。

誰かを心配したり、想ったりする気持ちも、
そういう匂いが届いたらいいなくらいに
思っているのがちょうどいいのかも。

私はすぐ言葉にしたくなってしまうけれど、
言葉にならないいろんな人の匂いみたいなものが
実はそこらじゅうに飛んでいるんだと思うと、
ちょっとその色模様を想像してみたくなります:)

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2012年2月 3日 (金)

余韻のある人たち


実際に接しているのはほんの短い間だけれど、
その瞬間がぱっと明るくなり、
しばらく余韻が残っていたり、
ふと思い出して笑顔になってしまうような人っていますよね。

何を突然という感じですが・・!

私がいま働いている事務所は、
昔の大きな工場を改築した建物の中にあり、
一階の賑やかな食料品街の上に、
小さなオフィスがひっそりとかくれています。

私たちの部屋のちょうど向かいには、食料搬送などに
使われる大きな業務用のエレベーターがあり、
それをいつも動かしてくれているのが、
40年以上ここで働いているという、
ダニーおじさんです。

大きな荷物を運ぶとき、5階から内線をならすと、
受話器からきこえているのか、1階から直接聞こえているのか
分からないくらい大きな返事のあと、ダニーが上まで来てくれます。
エレベーターから鳴り響く、オペラ歌手のような歌声とともに。

朝早く会社に向かうと、まだ人の少ない1階のお店街で、
仕事前のダニーがベンチに座っています。
時にはひとりで考えごとをするように遠くを見て、
時には同僚らしきおじさんたちとおしゃべりをしながら。
私に気付くといつもの陽気なあいさつをくれますが、
それまでの様子を眺めるのが、ひそかな楽しみだったりもします。

もう一人、この場所に欠かせない登場人物が
UPS(アメリカの郵便サービス)のおじちゃんです。
おそらくこの大きな建物に届く小包の大部分を担当している彼は、
ほぼ毎日、私たちの部屋にも何かを届けにきてくれます。
私が会社に来るときも、帰るときも、
颯爽と人混みの中を歩く彼をよく目にします。
そんなにてきぱきと働きながらも、彼が配達に来ると、
部屋がほんのり明るくなる。
元気なあいさつや、ちょっとしたジョーク、
つかの間だけれど、まわりの空気が自然と動くのです。
ときにはさりげなくさぼっていた私に、
“今居眠りしてたでしょ”
と小声の突っ込みも・・!

毎日のように会っているけれど、
そんなに多くの言葉をかわしているわけではない。
だからふとした瞬間に、彼らの家族や母国の話を聞くと
自分の描く彼らに新しい色が加わり、うれしくなる。
事務所が引っ越したり、私がこの場所を離れてしまったら、
もう会うことはなくなってしまうし、
いつそれが来るかも分からない。
でも、ずっと後になっても、彼らの表情や元気な声を
思い出すんだろうなぁと思う。
そういうふうに感じる人たちに、この街にきて、
結構多く出会った気がします。

写真は関係ないけれど、
昨日はじめて訪れたアポロシアターにて。
アマチュアの歌手やダンサーのための劇場ですが、
マイケルジャクソンもここからうまれたという、
歴史の長い場所で、圧倒されるようなパフォーマンス、
その熱気と迫力に、思わずはしゃいでしまったのでした^^

Apollo

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2011年12月31日 (土)

これからつづく年へ


あっという間に今年もあと1日ちょっとになりました。

去年の大晦日にもこのブログを書いていたことを思い出します。
それからを思うと、本当にぎっしり詰まった濃い一年だった気がします。

今年にかぎったことではないけれど、
この一年の中で感じたこと、会った人、かわした言葉、すごした時間を
忘れたくないなぁと心の底から思う。

人間の力の限界を痛感すると同時に、
ひとりひとりの人から生まれる動き、場、流れ、
そういうものの存在をこれまでにないくらい感じる年でもありました。

こんなにも未来は予測できないし、確実なことはなにもない。
ただ、振り返ることのできるひとつひとつの積み重ねの
時間があることだけは、みんな一緒なのだと思う。

そう言いながら、
いつでも想像していたのとちょっと違う先が訪れ、
そのたびにわくわくしたり、動揺したり、勇気がでたり、
まったくもって忙しい私ですが、、
自分の前にあらわれるいろいろな流れを受け入れながら、
そのときそのとき自分のお腹で判断して、動いて、
その積み重ねがどこに向かうのか、
楽しみな気持ちでいたいなぁ、と思う。
       
今年直接会えなかった人もふくめ、
自分のまわりにいるみなさんに、とっても感謝しています。
2012年もどうぞよろしくお願いします^^


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